話題のフリースクールドラマ、第5話をご覧になりましたか?
今回は1話完結ではなく、不登校におけるゲームの効能、SNSトラブル、いじりといじめ、そして自殺未遂など、非常に重く多様なテーマがてんこ盛りの回でした。
ご家庭で似たような悩みを抱えている親御さんにとっては、見ていて少し心が痛くなる場面もあったかもしれません。
今回はこの第5話から、不登校支援の専門家として皆さまにお伝えしたい「3つの視点」を整理してみたいと思います。
①「命の浮き輪」としてのゲームの効能と、見守る家族の葛藤
劇中で語られた「ゲームは命の浮き輪」という言葉。
これは、不登校支援の現場においても非常に重要なキーワードです。
こどもが一日中ゲームをしていると、親御さんはどうしても「このままでいいのだろうか」と焦りを感じてしまいます。
しかし、心身のエネルギーが枯渇し、現実の苦しさから逃れようとしているこどもにとって、ゲームは「安全な逃避手段」であり、時には「同じ不登校のこども同士が繋がれる大切なツール」でもあります。
だからこそ、フリースクールなどでも積極的にゲームが取り入れられているのです。
とはいえ、ゲーム中に感情が高ぶって暴言を吐くようなこどもの姿を、毎日一番近くで見守るご家族(今回はお祖母様でしたね)の心理的負担は計り知れません。
「頭ではゲームが必要だと分かっていても、見ていて辛い」。
そんなご家族の葛藤もまた、支援の現場で私たちがしっかりと受け止めるべき大切なSOSだと感じています。
②「いじり」という言葉に隠された、SNSいじめの恐怖
今回の不登校の背景には、明確な「いじめ」がありました。
女子生徒たちは「一部の男子がいじっていただけ」と言い訳をしていましたが、劇中のクラスLINEの画面をよく見ると、参加人数は「30人」となっており、男子の発言と退室をきっかけに「全員が退室」していました。
これは決して「一部の男子のいじり」などではなく、実際の教室で言えば「特定の子を避けて全員が教室から逃げ出す」のと同じ、「クラスの大多数によるいじめ」という残酷な構造です。
現代のSNSトラブルは、親や教師といった大人には全く見えないところで進行します。
「学校も警察も関与しきれない。親同士で直接話し合うと余計にこじれる」。
そんな八方塞がりの状況の中で、こどもたちだけが深い傷を抱え込んでしまうというリアルな怖さが描かれていました。
③「極限のSOS」には、大人の正解やマニュアルは通用しない
そして最も重いテーマが、智紀の「死にたい」という極限のSOSへの対応でした。
タツキが智紀の気持ちよりも「自分(タツキ自身)の気持ち」を優先して説得しようとしたのは、支援のセオリーとしてはNG行動とされています。
しかし、前からその日に死ぬことを決め、その後のことまで考えて覚悟を決めて屋上に立っているこどもを前に、「あなたの気持ちはそうなんだね」と穏やかに受け止めて傾聴することが果たして正解かと言われれば、それもまた微妙なところです。
現場のリアルとしてお伝えしたいのは、「命に関わるような極限の状況において、親や大人が完璧な正解を出すことは不可能に近い」ということです。
ドラマでは偶然が重なり、タツキが怪我をしたことで最悪の事態は防げましたが、これはドラマだからこそです。
もし現実にご家庭で「死にたい」という言葉が出たときは、親御さんだけで抱え込んで正解を探そうとせず、どうか直ちに医療機関や専門の相談窓口といった「外部の力」を頼ってください。
終わりに。次回以降の展開への期待
最後に登場した学ランの少年たちは、おそらく智紀のクラスメイトなのでしょう。
彼らがキーパーソンとなり、この重すぎるテーマを解決に導いてくれることを期待しています。
また、タツキ自身の「自分の息子と、他人のこども(フリースクールの生徒)、どちらが大事なんだ」という家族の再生のテーマにもどう向き合っていくのか。
親の焦り、こどもの見えないSOS、そして家族のあり方。
これからも保護者の皆さまと一緒に考えながら、視聴を続けていきたいと思います。

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