さて、それでは小学校高学年の話からです。
「五月雨登校(行ったり休んだり)。児童虐待やストレスの身体化」の時期です。
家庭の課題
小学生だから順番的には「家庭の課題」からでしょうか。
多くは語りませんが、スクールソーシャルワーカーとして要対協(要保護児童対策地域協議会)に参加したときに、自分も十分に要保護児童だと思ってしまうほどには家庭環境が悪かったです。
ちなみに虐待には「身体的虐待」「心理的虐待」「性的虐待」「ネグレクト(育児放棄)」があり、私の場合は「身体的虐待」と「心理的虐待」でした。
不登校に直接関係することだと、殴られて顔を腫らしているから学校に行けないということもありました。
思春期に入ってくると、周りの子達からもどうしたのかと聞かれますし、恥ずかしくて学校に行けないということもありましたね。
また、無理やり学校へ引きずって連れて行かれ、校門前で母親と殴り合いの喧嘩をするということもありました。
それをクラスメイトに見られて、余計恥ずかしくて行けないということもありましたね。
「家庭の課題」についてはいくらでも書くことがありますが、こういう家庭の保護者はあまり不登校に悩んでブログを読むということもないと思いますので、この辺りにしておきましょう。
ちなみに支援者の視点から言うと、非常にしんどいパターンです。
不登校に限らず、小学生の課題はこども自身ではなく保護者が解決しようと動かないと支援できないことが非常に多いです。
専門家の視点でも、それこそ要対協にあがっている子にも、ほとんど何も出来ないくらいには日本は親権が強いのが実情です。
そもそも30年以上前なので、2000年にできた児童虐待防止法の通告義務(虐待の疑いがあれば189)もなかったし、2022年までは民法で親権者による懲戒権が認められていましたから。
保護者の中にも「自分もこどもの頃には体罰があった」という方もいらっしゃるでしょう。
本人の課題
次は「本人の課題」です。
これは低学年から書く必要があると思うのですが、低学年のときは非常に暴力的なこどもでした。
その後、中学年の担任のおかげでかなりコントロールできるようになり、高学年のときには、こども同士のケンカをすることはほとんどなくなっていたように思います。
ただ、家庭内でのストレスを学校で発散できなくなってしまったと見ることもできるんですよね。
もちろん発散して良いわけないのですが、「家庭の課題」が原因で暴力的なこどもという「本人の課題」ができたのに、「本人の課題」にだけアプローチしたことで、根本的な課題が放置されて全部自分自身にストレスが向くようになりました。
結果、ストレスが身体化して腹痛などの形で現れ、学校に行けなくなるという別の「本人の課題」ができてしまったわけですね。
支援者の視点としては、こういう子にはまず信頼関係を築くために長い時間を掛ける必要を感じています。
なにせ一番身近な大人に傷つけられてきた子なので、自分が傷つける存在ではないということを伝え続ける必要があります。
専門家の視点だと、この頃は発達障害という概念がないし、愛着の視点で見ることになるでしょう。
ちなみに私は発達障害の診断は受けていないのですが、ウェルワークブックというものの特性チェックでは「こだわりの強い凸凹タイプ」でした。
当時はおそらく「様々なことに対して過敏で繊細なタイプ」にも該当していたように思います。
ちなみにウェルワークブックで診断はできないし、傾向的な意味での特性なので、わりと多くの人が何かに該当するようにできているようです。
また、身体化に関しては明らかに家庭内のストレスなのですが、家庭内環境をどうこうすることは非常に難しく、服薬による対症療法のようなことしかできないでしょうね。
学校の課題
最後に「学校の課題」ですが、前述のとおり時代背景が違うので、何もしていなかったのが問題とも言いづらいんですよね。
学校内で困る表面的な「暴力」だけを解決し、家庭内の課題を放置したことで「身体化」という新たな課題を生んだことは問題なのですが、これを学校の落ち度とするのは可哀想な気もします。
もちろん今の時代であれば、きちんと児童相談所に通告して、要対協に登録する必要があるでしょうけれど。
時代に関わらずな話で言うと、反抗期ということもあって教員の理不尽な言動にも敏感でした。
今でもはっきり覚えているのが、冬にポケットに手を入れて階段を降りていたときに「危ないから手を出しなさい」と担任から注意されたことです。
これ自体は何の問題もないのですが、後から担任が同じことをしていて「先生は良いの?」と言うと「大人は良いんだ」と言われたこと。
些細なことではありますが、30年以上ずっと覚えているくらいには問題発言だと思っています。
大人にとっては大したことのない発言でも、こどもには一生恨まれるということが往々にしてあるので、支援者として私はものすごく自分の言動には気をつけています。
専門家の視点からも、先生に限らず保護者も含め、こどもに禁止しておきながら自分がするということは、絶対にやめたほうが良いです。
とはいえ、小学生の時の私の場合、学校が主たる原因というよりは家庭が主たる原因で、学校は家庭を改善することも本人を守ることもできていなかったという感じでしょうか。
当時の心境
一番保護者の興味があるのがこの時、私がどう考え、どう感じていたかだと思います。
とはいえ、さすがに30年以上前の小学生の記憶なので非常に曖昧なのですが、「自分は病欠だと思っていた」というのがポイントかなと思います。
なにせ、自分としては「学校が嫌なのではなく、お腹が痛いから行けない」というのが当時の本音でしたから。
もちろん、学校も高学年になってくるとどんどん理不尽なことが増えていって、ストレスのかかる環境になっていきます。
こどもも脳神経科学の視点からも抽象的概念が理解できるようになってきて、10歳くらいからは一気に大人に考え方が近くなっていきます。
だから学校というシステムの歪みにも気づいてくるのですが、当時はまだまだ「それが当たり前」の時代で、今のようにネットで「それは問題だ」という情報が知れる時代ではありませんでした。
そういう意味では学校のストレスはさほどでもなく、やはり家庭のストレスのほうが大きかったです。
身体的、心理的虐待があった一方で、朝になると上着、下着、ズボン、靴下まで全部が本人の形で置かれているような家庭でもありました。
自我が芽生える思春期のこどもに対しては明らかな過干渉です。
それに加え、母親の父親への愚痴聞き係でもあったので、ヤングケアラーならぬヤングカウンセラーでした。
そして、6年生は友達関係が一番良かった時期でもあるので、やっぱり学校は楽しかったんですよね。
それでも行けなかったのはなぜかと言われれば、明らかに「家庭の課題」が大きかったです。
当時の自分を支援するなら
当時の自分を今の自分が支援するとしたら、とにかく仲良くなるところからですね。
これだけ書いておいて実は人当たりの良いこどもだったので、わりとすぐに心を開いてくれると思います。
ただ、一度「敵」だと認識した大人は徹底的に嫌うという傾向があったので、そこだけ注意ですが。
まあ、ヤンキー系中学生にも嫌われないタイプだから、そこは大丈夫でしょう。
前述したように、「本人の課題」よりも「家庭の課題」が大きいので、穴の空いたバケツに水を入れるような対症療法的サポートしかできないと思いますが。
家庭への支援も、今ならスクールカウンセラーが保護者相談もしてくれるので、そちらに繋ぐでしょうね。
教育センターは物理的距離が遠くて行けないと思いますが、電話相談とかもあるからそっちは紹介するでしょう。
私のようなこどもの場合、そもそも保護者が支援を求めてくることがないように思います。
そういう意味では支援が非常に難しいタイプの家庭だったんだなぁと思わずにいられません。