カテゴリー:体験談・エピソード
文章を書くことは、とても苦手なことだった。
前回のブログ「自分の気持ちを言葉にするのは、簡単なことじゃなかった。」の続編となります。当時の私は「表現すること」がひどくコンプレックスでした。文章を書くことは勿論、絵を描いたり人前で発表することも苦手でした。今日はその中の「文章」に焦点をあてて、お話しようかと思います(*´`)
私は、文章を書くことが苦手でした。
実は私は、文章を書くことが昔から苦手でした。
厳密には「書いた文章を人に見られること」が苦手でした。
一人で小説家の真似事をしてみたり、日記を書いたり、言葉を綴ることはたくさんあったし手紙を書くことも大好きだったけれど、渡せた手紙の数はその中でもほんの一部でしょう。
文章を書くのが、言葉を綴るのが好きだったからこそ、それを否定されるのが怖かったんです。
「下手だね」「才能ないよ」と言われるのが怖くて、ひとりきりで殻に閉じこもっていました。
しかし、幼い頃からそう感じていたわけではありません。
小学生の頃は、描いた絵や書いた文章などは自慢げに人に見せていたし、褒めて褒めてとアピールしていました。
そんな純粋だった子どもが、「表現するのが怖い」と思うようになってしまったのは、子どもの頃の親のある言動と、高校時代の先生の一言が根本の原因です。
親に褒められない子ども
これは父親の話なんですが、私の父は実力主義な考えが根強くて、98点をとって帰ると「後2点惜しかったね」、100点をとって帰ると「それを続けるのが難しいんだよ」、数学なんかはいい点数ばかりだったのに苦手な英語だけが悪いと「英語克服しなきゃ」などと言ってくるような人でした。
その点数をとるためにどれだけ私が頑張ったのかも、英語だけが出来なかったのを自分自身でどれだけ気にしていたかも一切知らんぷりしたまま、ただただ結果のみに注目している人でした。
『将来の夢』みたいなテーマで書いた作文を見せたときにも、けなされはしなかったものの、褒められることは一切ありませんでした。
だから私は結果を出さないと意味がないと考えていたし、「好き」かどうかなんて考える必要はなくて「得意」かどうかが重要なんだ、と思っていました。
でもやっぱり好きじゃないことをずっとしていると楽しくないし、苦手ばっかり気にしてると「勉強」なんてただの苦痛になってしまうんですよね。成績はどんどん下がっていきました。宿題を出すのだってやめてしまったし、ノート提出さえまともにしていませんでした。問題集の提出があったときには、そ知らぬ顔をして白紙の問題集を出すこともありました。
それは不器用な私なりのSOSで、親や先生に、今の状況が苦痛だと伝えたいがための行動でした。
でもそんな気持ちは一切汲み取ってもらえず、親も先生も「このままじゃ高校選べないと思え」「学費をなんだと思ってるの」と責めるばかりでした。
先生の一言がトドメだった。
親にも先生にも気づいてもらえず、ずっと独りで静かに傷ついてきた私にトドメをさしたのは、高校時代の先生でした。担任の先生は優しかったのだけど、国語の先生は私の思いをなにひとつ汲み取ってはくれなかったのです。
親にも先生にも褒めてもらえなかったけれど、やっぱり好きなものは好きで、作文は当時の私の好きなものの一つでした。
春、入学早々作文の課題がありました。
『この一年間、またはこの学校でなにがしたいか』というテーマでした。
心理的な葛藤などもあって小中学校で休みがちだった私は、「学校を休まずに過ごすこと」を軸に、「勉強するリズムをつくる」「色々な人と関わりを持つ(友達になる)」ことなどを書きました。
下手なりに一生懸命書いたし、添削も自分なりに何度もした作品でした。
その後すぐ、国語担当の先生と話す機会がありました。
春の課題についても触れられたのですが、そのとき先生は「学校を休まずに過ごすなんて、小中学校で習ってこなかったの?」「そんな基本的なことをテーマに持ってくるとは思わなかったわ」「文才ないよ」などと言ってきました。
小学校でも中学校でも私は満足に自己肯定感を育てることができなかった。だからこそ高校では基礎の基礎から鍛えて立派な社会人になろうと思ってた。やっと、自分の力で立てるようになりたいって思えるようになってきたのに。
その思いを、先生はたった一瞬でつぶしてしまいました。
その瞬間から私は文章を書くのが苦手になってしまって、私はまったく書けないようになってしまいました。
インターネット上の掲示板やチャットなら自然な自分を出すことができたけれど、夏休みの宿題での読書感想文など、自分で言葉を綴ることが出来なくなってしまったんです。
それからは、色々な本から引用したり、他人の言葉を借りることでやりすごしていました。
幸か不幸か、作者の意図を読み取ったりするのは大丈夫だったので国語の試験は無難に過ごせていました。だからこそ先生方も親も誰も私の変化に気づかなかったのかもしれません。
そんな私が、文章を書けるようになったワケ
最初「ココトモ」でボランティアを始めたときは、完全にインターネット上だけの付き合いでした。
メール相談も、他のメンバーとの交流も顔が見えるわけではなかったし、メールアドレス以外の個人情報を明かすこともなかったんです。
その頃からココトモにはブログがあって…活動を続けるうち、「文章を書きたい」と思うようになりました。
顔を見られたり直接批評が届いたりするのは怖かったけれど、インターネット上でしかない「ココトモ」なら、いざとなれば退会手続きをしてしまえばいい。その「逃げ道」が後押しとなって、私ははじめてブログを書きました。
▽ちなみにそのとき書いたブログはコチラです
「否定されること」に対しての考え方。
正直、今読み返すと「なんて未熟なの…!」と恥ずかしくなります。
全てを消し去って書き直したい。そういう衝動にかられます。
しかし、私が今ブログを書けているのは、あのころの私が勇気を出して挑戦したからでした。
いざブログを書いてみると、SNSで紹介してもらえたり、コメントがもらえたりして、しかもその全てがあたたかいもので。
「文章を書く」というのを、もうしばらく続けてみてもいいかもしれない。そんなふうに考えられるようになりました。
ブログを続けていると、「鷹れんちゃんの文章好きー」と言ってくれる人と出会えました。
その後も「鷹れん、文章を書く才能あるよ」「鷹れんちゃん、ブログすごいねー」と言ってくれる人たちがいて…そのあたたかさに涙が溢れてきました。
自分の好きなことを褒めてもらえるというのがどれほど嬉しいのか、私は17歳くらいになってやっとこさ知ることができたんです。
それが遅かったのか、不幸だったのか、幸福なのか私にはわからないけれど、
その経験があったおかげで私は今ココトモで活動できているし、ティーンズプレイスをつくれたのだと思います。
あの頃の親や先生に感謝することはまだ出来ないけれど、少しずつでも感謝できるようになっていきたいなぁと考えております╰(*´︶`*)╯
今日のブログはこの辺で。
最後までお読みいただき有難うございました(*´`)
鷹れん
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