「普通」は存在する

「普通、なんてものはない」

「どれも個性だ」

最近よく聞く言葉。でも、本当にそうなんだろうか。語彙力がなくてうまく言えないけれど、理想としての状態を言っているだけなんじゃないだろうか。

「普通」なんてない、そう思いたいけど、そんな美学だけじゃこの世はできてない。

これが今の私の持論だ。だって、生きづらいんだもの。何がとは言わないが、私には「マイノリティ」である性質がいくつか存在する。自分が少数派であることをわかっていて、かつ、ある意味で諦めているから、自分が多数派に入れないことも多数派が「普通」であることも受け入れている。そうせざるを得なかったからだ。そしてきっと、同じような方はこれを読んでくださっている方の中にもいらっしゃるんじゃないかと思う。学校だとか家だとか地域だとか、何らかのコミュニティの中にいると、飛び交う会話の節々に表れる、人々の間を流れる「普通」の概念、つまり前提として置かれる「当たり前」が見えてくる。それを受け入れると同時に、自分は少数派であり「普通」ではないと悟り、それをも受け入れるしかなかった。

自分が少数派であるなんて言えない。絶対に言えない。話している相手が少数派であるとは知らずに、嘲笑、好奇、茶化すような目をして少数派のことを語る。そうでなくても “自分とは関係がない人種“ であるかのように、他人事のように、少数派のことを語る。何度も何度も何度も、もう慣れた…のかもしれない。慣れたから一々落ち込むこともない…のかもしれない。いや、本当は、絶望してときどき消えたくなる。なぜ「普通」になれなかったのか、なぜ大多数の人は気にしてすらいないようなことで悩まなければならないのか、と。

私はもう長いことSNSをやっているし、少数派に対する偏見はダメだというような文章が広く拡散されているのも何度も見かけた。でも、少数派に対する偏見なんて、現実世界でもネット世界でも実際しっかりあるのだ。でも仕方ないのだとは思う。あまりにも「普通」というものが強固すぎるから。多数派の人間は、まさか身近にマイノリティの人間が居ようとは全く思っていない、若しくは、それが目に見えるものであっても、自分が多数派であり「普通」そして相手が少数派で「普通ではない」と無意識のうちに決定づける。多数派という隠れ蓑を着て、確固たる悪意を持って少数派を馬鹿にしようだなんて人は実はそんなに多くはないのだと思う。多数派である限り、少数派のことを完全に理解することは不可能だと思うし、理解してくれないからと言って多数派の人間を責めるのも、何だか違う気がする。

 

そして「個性」という言葉。最近本当によく聞く。

「〇〇は個性だ!」というお決まりのフレーズ。

そもそも個性とは他の人とは違ったその人の性質を言うが、世間では少しだけ違う意味で使われていると思うので、辞書的な意味は一旦置いておく。

「個性」って何なのか。

人はひとりひとり違う。それぞれの人間は別々の顔立ちで、別々の興味の範囲を持つ。でも、とある面で見て人々をざっくりと分けるとしたとき、人々を2分するはっきりとした境界線がある場合があると思う。具体例を挙げれば、多数派の毎日学校に行く人と少数派の学校を休みがちな人。多数派のシスジェンダーストレート(心の性別と体の性別が一致、かつ異性を好きになる人)と少数派のLGBT(Q+)、というように。

そして、少数派は、少なからずこれまで生きてくるなかのどこかで、生きづらさを抱えたことがあるのではないだろうか。現在進行形で生きづらさを抱えている人も多いのではないか。

これって、本当に「個性」だなんて美しくて都合の良い言葉で覆い隠せるようなものなのだろうか。

私はそうは思えない。「個性」という言葉はそんなに万能じゃない。

 

 

「普通」なんてものはなくて、みんな「個性」を持った人間である。

これは確かに理想だ。でも理想でしかない。実際そんなにうまくはいかない。個性なのだ、と思うと、個性であるはずのことに苦しんでいる自分はダメな人間なんじゃないかと思い始めるかもしれない。少数派は悪いのだと思い始めるかもしれない。でも、違う。いや、違う、と考えよう…少しでも苦しむ元が減るように。

「普通」というものが今既に強固に在って、そう簡単には揺るがないのだから、半ば諦めによるものではあるかもしれないけれど、変に個性だなんだと言って自分を説き伏せ納得させようと努力する必要はないんじゃないかなと思う。自分で自分のことを傷つけて欲しくない。そして、自分が多数派であることに関しては、変に干渉しすぎないこと。もし相手が少数派であると分かっても、色眼鏡で見ないという努力をすること。多数派であろうと少数派であろうと、「普通」という強固なもの、前提として在る「当たり前」なるものを持っている。そして恐らくそれは、ほとんどの人の間で共通だと思う。だから自分が少数派であることに関しては、「個性だなんて綺麗なもんじゃない、普通と違うと自他共に思っているから生きづらいのも仕方ない」。自分が多数派であることに関しては、「普通はこうだ、という最早無意識の域の思い込みは誰しもある、だからそう思ってしまう自分は責めない。でもそれを相手にぶつけないようにしよう」

と。こうやって、言葉に踊らされず逆に言葉をうまく使えたらいいのかな、と思う。

 

 

 

 

あくまでもこれは私自身の現時点での考えです。どうかそこはよろしくお願いいたします。

長文乱文失礼いたしました。ここまで読んでくださった方いらっしゃいましたら、ここで感謝の意を述べさせていただきます。ありがとうございました。

 

kua

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