自分で自分を責めなくても、ストップをかけてくれる人がいる。

こんにちは、鷹れんです(*´`)
私は長らく、自分のことを褒めたり、自分のできることを認めたり、自分のことを受け入れることがひどく苦手でした。今でも苦手に変わりはないし、なにか小さなことをきっかけにして自己否定の渦に巻き込まれることも日常茶飯事です。

なんでかといえば、傲慢になってしまうのが怖いからです。
「まわりから嫌われる理由」を自分の中に作るのが怖いのです。

私のまわりにいる人は、結果や能力を褒めることしかしない人たちでした。
むしろ「あとここが惜しかったね」と足りない部分を指摘されることのほうが多くて、私はいつも否定ばかりされていました。

でもそれを悲観していたわけではありませんでした。存在を無視されるような時期もあったので、それに比べれば否定であっても関心を向けてもらえるのは幸せで、親やまわりの人のおこないを嫌だと感じる自分の感性がおかしいのだと思っていました。

嫌われたくない。
否定されたくない。
そういう気持ちを満たすために、私は嘘を吐くようになりました。

なにがあってもいつもヘラヘラ笑顔でいて、休みたい気持ちが出てきても無視して頑張り続けて、吐き出したくなっても我慢して強いフリをして、心の中はどろどろなのにイイ子に見せて大人ぶって・・・
自分の存在をそのまま受け入れてもらうべき時期にそんなことになってしまったから、私は今もなお自分を「結果」「能力」で評価してしまいます。

けれど私のまわりには私よりすごい人たちばかりで、どこまでいっても劣らない自分が露呈するばかりで、そのたびに自己嫌悪をしてしまうのです。
いつしかそれが当たり前になっていて、褒めてくれる・認めてくれる人がいたとしても、「私はもっとダメな人間なのに」と感じるようになっていきました。

きっと謙虚でいることを父が求めたからでしょう。
誰かに「すごいですね」と私が言われると、「いやいや、勉強も苦手でなにもできない娘ですから」と言う人でした。
そのとき私は「人に褒められたときには素直に喜ぶべきじゃないんだ」と学んだのだと思います。

誰になにを言われても「そんなことないです」とばかり言っていて、そして自分に対しても「自分のことを褒めたり認めたりすることはいけないことなんだ」と思うようになりました。そもそも愛し方も大切にする方法も認め方も分からかなかったのですが。

でも幸い、今の私のまわりには、私のことを叱ってくれる人がいます。
大切にできていないとき、失敗したとき、自ら自分を傷つけようとしたとき・・・。私の人格を否定するのではなく、きちんと諭してくれる人たちがいます。

今だって「傲慢になっちゃわないか」「ワガママになってしまわないか」という不安はつきまとっているけれど、まわりの人のおかげで幾分かはマシになってきました。

自分で自分を責めなくても、ストップをかけてくれる人がいる。

まずはそのことを信じて、頑張ってみようと思います。

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ティーンズプレイスを見ていただき、ありがとうございます。 管理人の鷹れんです(*´`) 小学校2年生、はじめていじめを受けました。 中学生になってからもいじめられて、はじめて不登校になりました。 不登校になってから、家...

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