親の怒りは受け取らなくていい。「叱る」と「怒る」は全くの別物

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世の中には「怒る親」と「叱る親」がいます。
残念ながら私の両親は「怒る親」でした。

自分の中の「正しいこと」に当てはまらなければ、その根底にどんな感情が隠れていようと、どんな環境であろうとお構いなし。「悪い」の一言で片付ける。そんな人たちでした。

私は怒られるのが怖いと感じていました。
詳しくは、一緒にティーンズプレイスの管理人をしてくれている「ゆっきーな」ちゃんと一緒に書いたブログがあるので、そちらをチェックしてみてください^^

⇒ブログを読んでみる!(別ウィンドウで開きます)

ブログの中に、こんな文章があります。

まず、「怒られるのが怖い」の最初の理由として浮かび出たのは 幼少期に怒られて育ったという理由でした。

小さいうちは「なんで怒られたんだろう」と考えをシフトする力がなくて「怒られたこと」にとらわれがちなんです。

そこで親の怒鳴り声などが重なってしまうと「怒られてしまう自分はダメなんだ…。」と人格の否定が起こります。

でも、幼い頃親に一回も叱られたり怒られたりしなかった人って、なかなかいないと思うんです。
誰しもがなにかしら「ダメ!」って言われてきたんじゃないでしょうか。

もちろん、怒られることに微塵も恐怖を感じない人は少ないと思います。
ほとんどの人は、焦ったり落ち込んだり、マイナスの感情を持つんじゃないかなぁ・・・。

でも、恐怖があるせいで行動できなくなってしまうような人は、少ないんではないのかな。
怒られないように・注目されないようにと大人しく行動して、怒られるのが怖いから人に反対することもできず、ビクビク怯えて常に人の顔色を伺って・・・そんな生活を続けていました。

では何故私たちは怒られることに恐怖を感じるようになったのでしょう。

「怒る」と「叱る」は別物

私は、怒られて育ちました。
記憶にあるのは、正座させられながら聞いた怒鳴り声や、責める気持ちしかない表情です。

きっと怒られるのが怖い人は、「怒られて」育ったんじゃないかなぁ。
怒られるのが怖くない人は、「叱られて」育ったのだと思います。

この二つ、似ているようで全くの別物です。それはもう正反対!

「怒る」は自分のため。「叱る」は相手のため。

この二つの最大の違いは「誰のためか」ということです。

「怒る」というのは誰にもでできることなんです。ただ自分の中にたまった黒い感情を大きな声で吐きだせばいい。
相手がどう感じるかも気にせずに、ただただ自分の本能のまま心の声を叫べばいい。
大声だけではなく、物を投げたり殴ったり、とにかく暴れまわればそれは「怒っている」ということになるんです。

怒るのは、自分のための行動です。
怒らなければ、自分の中に溜まりつづけてしまうから。それを吐き出して、ちゃんと新しいものを受け入れられるようにするためのステップなんですね。

だいたいの人は、段々とそれ以外の吐き出し方を学習していきます。
誰かに相談したり愚痴ったり、カラオケに行ったり、人を殴るのではなくスポーツをする、というような感じです。

しかし、怒ることでしか発散できない人もいます。
日頃はそれ以外の方法で発散できる人も、例えば育児のストレスやリストラなど大きな「自分ひとりでは処理しきれないストレス」を受けたときには、本能のままにやりやすい「怒る」という手段になってしまうことがあります。

対して「叱る」というのは、誰でもできることではありません。
相手のどこがいけなかったのか。その原因はなんなのか。改善策はあるのか。この先どう考えていくべきなのか・・・。
そういうものを理性で考えなければいけません。

その根底にあるのは「相手に成長してほしい」という気持ち。
叱るのは、相手のための行動なんです。
叱らなければ、相手が止まってしまうから。成長のためのステップなんです。

これは、生きていれば自然に養える、という類のものではありません。
本能は人間が生まれたときから備わっていますが、理性は自分で育てなければならないのです。

あくまで私個人の持論ですが、人を育てることが出来る人というのは、自分を育てることが出来る人だと思うんです。
自分を育てられるということは、叱ることができる、ということ。
つまり、人を育てられる人は、叱ることができる人なわけです。

終わりに

残念ながら私の両親は「自分を育てられなかった人」でした。
冷静に「なぜこれがいけないかわかるか?」と聞かれたことはないし「これは危ないのでしてはいけません」と説明を受けたこともありませんでした。
ただただ「こんなことも分からないのか!ダメなやつだ!」「なんでこんなことをするんだ!」と怒られるだけの日々。

当時はずいぶん苦しんだし、今でも完全に克服できたわけではなくて、大きな音や声をきくと、とっさに体が強張ってしまいます。
それでも今では「自分を育てていきたいなぁ」と思えるようになってきました。

まだまだ「理性的に叱る」ということは苦手だけれど、少しずつでも「相手のための行動」ができるようになっていきたいなぁ、と思っています٩( ‘ω’ )و

ではでは、最後までお読みいただき有難うございました!
鷹れん

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全2件のコメント

  1. 鷹れん 2015/12/15 16:51

    ぬいさん、こちらでもコメントありがとうございます♪

    確かに、立場や状況によって「叱る」の必要性って変わってきますよね。
    私は学級委員や副部長などの役割を任されるようになってから意識するようになりました。

    難しいことだからこそ、自分たちのペースで少しずつやっていきたいものです(*´`)

  2. ぬい 2015/12/14 23:10

    叱る
    う〜ん
    なんでしょうか
    自分が子どものときには人を叱る必要性はあんまりないような気がします
    けれど大人になるにつれ、人をまとめる役になったり、人に何かを教える立場になったり
    自分が望む望まぬに関わらずそういう立場になることってあるんだと思います
    そういう立場になったとき自分が人を叱らなければならないことが出てくるんだと思います
    けれど、その立場になったときに人をちゃんとれるか
    怒ると叱るをちゃんと自分自身が区別できるか
    その辺りって結構難しいんじゃないかなって私は思います

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