人は変わるのではなく「加わっていく」のではないか?

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最近、ある人とこんな話をしました。
人の「変化」の話です。
私は性善説(生まれた時はみんないい子、社会の中で悪くなる。だからありのままを大切に〜という考えた)を信じています。どんなに悪いことをした人でも、傷つけた人でも、そこにはなにか原因があって、悪いことをするしかない・傷つけるしかない状況だったんだ。そう考えています。
しかしその人は性善説も性悪説(生まれた時はみんな悪いやつだ、だからいい人になれるよう学ばなきゃね、という考え方)も信じてはおらず「人はいつでも変わる(変えられる・変わってしまう)」と考えていました。

どんなにいい人でも悪い人になる可能性があるし、どんなに悪い人でもいい人になるかもしれない、と。

私は、人が変わるとは思っていません。正しくいえば「加わる」のだと思っています。
だから、例えどこかで信じていた人に裏切られたり、傷つけられたりしたとしても、その人の「私が信じた部分」は嘘ではないんだと考えています。ただ、その人の中の「そうじゃない部分」も勿論あって、「その人本人」ではなく「表面に出てきてるもの」が変わっただけなんじゃないでしょうか?

私は、かつて人を傷つけたことがあります。正義というものを盾にして、相手の逃げ道を無くし追い詰めてしまいました。今でも半分絶縁のような状態です。
その時の私と、今の私は違っています。いろいろなものを学び、知り、得てきました。しかし、その時の私がいなくなってしまったわけではありません。
私は今でも「正しさ」は大切なものだと思っています。正しさを盾にすることはないけれど、考える時の基準のひとつにしていたいです。

私は最近、人から「変わったね」とよく言われます。確かにかわりました。
以前より出来ることが増えたし、挑戦家になったし、自信も少しずつ培ってきました。
けれど、変わる前の私もいるのです。
選択肢が増えただけであって、視野が広がったからその選択をしなくなっただけであって、「弱虫な私」も「意地っ張りな私」も「自信のない私」も心の中には未だにいます。たまに起き出してきて、私のやる気や生きる気力を削いでいくので、なかなか困ったやつらです。笑

話は少し逸れましたが、ともかく私は自分のことを「変わった」とは思っていないのです。

皆さんは、自分のことを「変わった」と思う瞬間はありますか?
変わったと受け取るも、加わったと受け取るも、逆になくなったと受け取るも自由だと思います。

ただ、「優しい人が人に優しくできなくなった」時に、「今のあなたがどんな人でも、私はあの時救われた。だから、大好きだよ」と抱きしめられる人間でありたいです。

鷹れん

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