正解・不正解の二つに分類するのは本当に「正解」?

私たちは日頃よく、「いい・悪い」とか「正解・不正解」とか、なにか二種類に分類することがあります。
小学生のときから(もしかしたら幼稚園のときから)「これは正しいからしなさい」「これが正解だからこう答えなさい」という教え方をしてくる先生も珍しくありませんでした。

「私は電車で席に座っている。老人が乗ってきたが、席が空いていない。どうする?」
みたいな設問は、今も疑問が残っています。
それが「礼儀・作法」みたいな分野だったらまだ納得できたのかもしれませんが、「道徳」だったから余計に心にひっかかりました。

望ましい行動としては、「老人に席を譲る」なのでしょう。
しかし、「私」が体調不良だとしたら? 片足を骨折してギプスをはめていた、なんて極端な例でなくとも、「立っているのがつらい」とか「頭痛で少しクラクラする」とか・・・だとしたら「席を譲る」というのは本当に正解なのでしょうか。

「正解」ってなんなのでしょう。
正解っていうとなんだか客観的なものだったり事実みたいなものをイメージしますが、例えば小学生に「資源ってなに?」ときいたときと、経済学を学んでいる学生に「資源ってなに?」ときいたときでは、それぞれ正解が違います。

小学校では、「資源=石油、石炭、その他燃料」って習いますよね。
けれど経済学では「資源=労働、資本、土地」と習います。なにかを生産するときに必要な3つですね。人が働いて、なにかを利用し、どこか場所を用意することではじめてなにかを生み出すことができるのです。石油や石炭は、この中の「資本」(の中の「流動資本」)に分類されます。

これに限らず、「以前は正解だとされていたものが正解じゃなくなる(あるいは正解の一部になる)」というのはよくあることです・・・が、こういった知識であれば、「正解・不正解」という二つに分類することで「相手(生徒・学生)が本当に理解できているか」などを客観的に判断することができます。

けれど「道徳」はどうでしょう。

正直、「時と場合による」としか言えませんよね。
私は超元気。そこに咳き込んでいるおばあちゃん登場。みたいな状況だったら「席を譲る」というのが正解といえるかもしれませんが、現実にはそう極端なシーンはありません。
だいたい誰もが席に座りたくなるくらいには体調不良を抱えているし、だいたい誰もが人に席を譲られずとも大丈夫なくらいには元気です。

そういった問題を「正解・不正解」で分類するのは、状況によっては「危険」かもしれません。
一番危ないのは、「自分の正解を他人の正解」と思い込むことです。

「自分は老人が電車に乗ってきたら席を譲ります!!」と信念として掲げるのはおおいに結構。素晴らしいことです。
しかしだからといって「自分が席を譲るのだから席を譲っていないあなたは間違っている!!」と自分の正解を他人に押し付けていいということにはなりません。

道徳に限らず、思想や価値観、人の内面に関わるものは、簡単に二種類に分けられるものばかりではないはずです。
くれぐれも、自分の中の「自分はこうでありたい」を「人はこうあるべき」と履き違えないように。(もちろん、犯罪などの極端なものもありますけれど)

自戒も込めて。
鷹れん

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