いじめを克服したときの話

こんばんは、鷹れんです。
私はこれまで何度もいじめに遭ってきました。

中学一年生のときには先生に相談しました。
「任せなさい」と言ってくれた先生は、いじめっ子数人を放課後に呼び出して直接注意をしました。

「いじめをしているんだって? 鷹れんから聞いたぞ。やめなさい」

結局いじめはより陰湿で悪質なものになっていきました。
そしてやっぱり耐え切れなくて、一学期の終わり頃に親に相談しました。
ある日突然、玄関で動けなくなってしまったのです。

「休んでいいよ」「行かなくていいよ」
そう受け入れた両親のおかげで、私はようやく逃げ場所を見つけたと思いました。

もう、一日中笑われなくて済む。
もう、やることやること全てを否定されることはなくなる。
安心しました。「鎧をおろせる」そう感じました。

しかし現実はそううまくいきません。

「朝行ってつらかったら帰って来ていいから」
「放課後担任の先生に会うだけでもいいから」
「教室に入れなくてもいいから」

不登校になって一ヶ月経ったころには、親からの「学校へ行きなさい」のプレッシャーは絶大なものになっていました。
不登校というのは、子ども(私)にとって相当な負い目です。「学校に行く」というのが当たり前で、「学校に行っていない」のはイレギュラー。学校に行っていないのに私はいつも平気でご飯を食べて、ゲームをして、眠って、遊んで過ごしています。

私は耐えることができなかった。
その事実が、私の首を絞めつづけていました。

どうしようもなく嫌だったけれど、親にも申し訳なくて。
不登校中も学校にかけるお金はゼロではなくて、人が生きるにはどうしたってお金が必要で、私にはそれを稼ぐ能力がなくて、つまりは親に頼りきりで、それなのに私は親の願いを叶えられていないのです。
結局「学校に行く」という選択肢をとりました。父親と先生と私の三者面談を放課後にすることになったのです。

日時が決まった日から、憂うつでしかたありませんでした。
つらくて、苦しくて、嫌だと叫びたかった。先生のことなんて信用できないと、私の声をきいてと、叫びたかった。
でも、できませんでした。

当日。
泣きじゃくりたくなる衝動を抑え、私はずんずんと歩いていく父親の後をついていきました。
クラスメートに会ってしまわないだろうか。
すれ違う人みんな私を笑っているんじゃないだろうか。
不安で不安でたまらなくて、「帰りたい」という気持ちを必死で抑えていました。

それなのに、前を行く父親が私にかけたのは
「一歩外に出てしまえば意外と大丈夫なんだよな」
という言葉でした。

え、なにそれ。
全部私が悪いの? 「大丈夫」なんて本気で考えてるの?
あぁそっか。
この人は、私のことなんてこれっぽっちも見てはいないんだ。

私を利用して「子どもを気遣う親」とまわりに見られたいだけだったんだ。

その日から、私は親に相談するのをやめました。

結局その後転校することになり、中学二年生の二学期から別の学校に通うことになりました。
しかしその転校先でも、私はいじめられることになるのです。

ひとりで戦うしかなかった。

ちょうど合唱祭の準備が始まった頃でした。
私は昔から合唱などで歌うときに歌いだしでアクセントをつけるクセがありました。すこし前に体重が傾くんです。その「前後にリズムを取る」様子がどうにも珍しかったらしく、クラスの男子たちに悪ふざけでまねされるようになりました。
次第に中傷はひどくなっていき、私がショートにすると別の髪をきった女の子に「鷹れんと違って○○はショートが似合うよな」と言ったり、掃除の時間のとき私以外の班の子がボイコットをしてひとりで掃除をすることになったり……。

もう、逃げることはできませんでした。
家には居場所なんて無くて、アルバイトもまだ出来なかったし、今のようにボランティア活動等に取り組んでいたわけではありません。
信用できる人はもちろん、信用したいと思う人さえいませんでした。

私は、ひとりで戦うほか無かったのです。

ある日、いじめをしてきてたグループのひとりを廊下に呼び出しました。

あなたがしていることはどういうことか。
私が日頃どういう気持ちで生活しているか。
どれだけ苦しんでいるか。あなたの「遊び」がひとりの命を奪いかねないということ。

そういうことを伝えていくうち、じょじょに騒ぎになって学年主任の先生が首を突っ込んできました。正直「手を出すな!」って感覚でしたけど(汗)、結局、担任の先生と私といじめグループの人たちで話し合う場が設けられました。

ひとりだと思っていました。
もう味方なんて存在しないと思っていました。
誰からも愛されないと。そんな価値なんて私にはないと、そうでも考えないととても生きていける世界ではなかったのです。

しかし担任の先生は、変にかばうでもなく、じっくりと事実確認をしながら話をきいてくださいました。

私はそれまで、どれだけ悪口を言われても、最後の一対一のところまで一滴も泣きませんでした。泣いても助けてくれる人なんていなかったから。泣いたら耐えられなくなってしまいそうだったから……。
しかし、話し合いが始まった途端、涙が止まらなくなってしまいました。
あのとき先生が男子たちに対しておっしゃった言葉は、今でも心の支えです。

「君たちは、彼女(鷹れん)が泣かないし弱音も言わないから、この程度の悪口なら、この程度のイタズラならいいと思っていたかもしれないね。でも見てごらん。彼女は、本当はとてもつらかった。悲しかった。やめてと叫びたかった。しかし彼女は、強がってしまったんだ。強がらせたのは、叫べなくさせたのは、他でもない君たちだよ。それを忘れたらいけない」

私は強がっていたんだ。かなしかったんだ。心の中に、ストンと何かが落ちる音がしました。余計、涙が止まらなくなってしまいました。

その後話し合いは落ち着き、先生と二人だけで話す機会がありました。

「君は強い人だよ。前の学校で不登校になってしまったのが不思議なくらいに。きっと色々なものを乗り越えてきたのだろうね。大丈夫。自信を持ちなさい。君は、とても強い人だ」

もうほんと、ボロ泣きでした。
涙でぐしゃぐしゃの顔で、声で、これでもかと感謝を伝えました。
本当に、本当に、あの瞬間が、あの言葉があったからこそ、今も私は立てています。

私は別に、100%被害者だったわけではありません。
意固地な態度をとってしまったりしたことで、余計な争いを生んでしまった部分もあると思います。結局話し合いの後には私からいじめっ子たちに対して頭を下げるシーンもありましたし、そのことに関しても先生からは褒めていただきました。

「鷹れんは一歩先のステージに進んだね。君たち(いじめをしていた子たち)はまだかな」

なんだか誇らしい気持ちでした。
さっきまであんなに惨めだったのに。

この苦しみはムダではなかった。
戦ってよかった。
逃げなくて良かった。

そう思うことができました。

いじめに苦しんでいるあなたへ

今回のブログで私が伝えたいのは「いじめに立ち向かおう」ということではありません。「苦しみは糧になるから耐えなさい」ということでもありません。

いじめは、苦しいです。しんどいです。つらいです。
逃げてください。
耐えようとしないでください。

でも、きっと私のように逃げ場のない子もいると思います。
私は戦いたくて戦ったわけではありません。
逃げたかった。泣きたかった。守ってほしかった、

でも、逃げられる場所も守ってくれる存在も私にはなかったのです。

いつかあなたが、逃げ場を得られますように。
守ってくれる存在に出会えますように。

できることならこのティーンズプレイスが、あなたの心休まる場所になれますように。

鷹れん

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