春休みが明けて気づいたこと

今日、久々に大学に行ってきました。

2ヶ月間あった春休みもとうとう終わりを迎え、また「学校と家の往復の日々」が始まります。笑
思えば高校生のときまでは、休み明けはいつも憂うつな気持ちを抱えていました。今ある「自由」から、また「制約」される日々に戻ってしまうのだなぁ、なんて。

しかし今回は、憂うつな気持ちはまったくありません。むしろちょっと清々しいくらい。
春休みの中ごろくらいから、ずっと、小さいながらも「はやく学校が始まってほしい」という気持ちを持っていたように思います。

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はやく学校が始まってほしかった理由

別に大学は好きだけど「大好き!いつも大学にいたい!」なんて思ってはいないし、高校時代だって学校が嫌いなわけではありませんでした。(「嫌いな人」は学校の中にたくさんいたけれど、それと「学校が嫌い」とはまた別の話です。大学だって嫌いな人のひとりやふたりいますしね。)
じゃあ、なんでせっかくの春休みを満喫しきる前に「学校が始まってほしい」なんて血迷った(?)考えを持つに至ったのでしょうか?

1.勉強したいから

なんといっても・・・勉強したい!!!
これは状況や環境、タイミングに関わらず私が常に持っている気持ちです。

正確に言えば「新しいことを知りたい」かなぁ。
解けない問題があるなら解き方を見つけたいし、新しい「公式」を知ればそのメカニズムを知りたいし、新しい人と出会ったら「その人はどんな人なのか」気になってしかたありません。
いわゆる机に向かう「お勉強」かどうかはあまり関係なくて、とにかく「知らないこと」が目の前にあると、知りたくなっちゃうのです。

テレビに虫眼鏡をあてても拡大されずにかえってボヤけてしまうのはなんで? 何故パソコンはリアルタイムで表示することができるのだろう? 何故人は寝るのだろう? この外国人は今なんて喋ったのかな? この食べ物にはどんな栄養が含まれているのかな? どうして水で洗うよりお湯で洗ったほうがはやく乾くのかな? ・・・などなどなどなど。
なにげない生活の中にも「ギモン」は山ほど隠れています。すこし目を凝らせば、ほらあなたの目の前にも!

その全てに理論的な答えを出さなくても、「雨が降るのは雲の上にいる神さまが地上の花たちにじょうろで水をやっているからだよ」なんてものでもいいと思います。理論的な答えは時に冷たいからね。むしろそういう感情的な答えのほうがあたたかいときもあるかもしれません。

私は常になにかを学んでいたいです。それは机に向かうだけでなく「やったことのないことをする」「やったことのあることは以前の反省を踏まえてする」「次の動きを予測しながら選択する」など実際の生活の中で「考える」ということも込みです。ずーっと机に向かってるだけじゃ退屈だし「人間の体はいろいろ曲がるのに植物の茎は折ると戻らないのはなんで?」みたいなギモンは生まれづらい気がします。

私の8割は知的好奇心でできているんじゃないかってくらい「知らないこと」「やったことがないもの」に敏感です。失敗が怖くてスタートが遅れてしまうこともあるけれど、「学びたい」「知りたい」「やってみたい」という気持ちは常に持っています(*´`)

しかし、「数学を学びたい」という気持ちを日常の生活で満たすことはなかなかに難しいです。高校数学までの振り返りだったら今までつかったテキストや問題集でじゅうぶん可能ですが、「幾何学の分野を勉強してみたい」とか「もっと難しい問題を解きたい」みたいな気持ちは、やっぱり大学で学ぶのが一番手っ取り早くて確実です。
だから、講義開始日の今月7日が楽しみでなりません!!笑

2.学校は「当たり前の生活」を守るための大きな手助けになってくれるから

普段は「ちゃんとした子」「頼りになる」みたいなので通ってますが、実際の私は結構な怠け癖の持ち主。誰か人が関わることなら全然大丈夫なんですが、一人で完結するものはなかなか続きません。ダイエットーとか、筋トレーとか、ブログ書くーとか。(このサイトのブログが続いているのは読んでくれる方との繋がりがコメントなどから意識できるためです。コメントありがたやー)

大学があるうちは、ほとんどの日に講義があります。講義が入ってれば私の性格上寝坊せずにきちっと行きます。ちゃんと集中すれば疲れるからそのまま帰宅したら爆睡します。爆睡すれば早起きできるため、また余裕をもって講義に向かうことができます。ほら、この早寝早起きのステキなサイクル!

他にも「勉強する時間をつくる」とか「部屋をキレイに保つ」とか(重要な書類が無くなったら困りますからね)、とにかく学校があると私の中にはさまざまな「ステキなサイクル」が生まれるのです。

もちろんそれだけではなくて、勉強によって遊びの時間が減るとか、なんらかの「弊害」もうまれます。(しかし私にとって勉強は遊びや趣味のようなものなのでこれが弊害かと言われると・・・なんとも・・・。)
しかし放っておくとすぐに「ぐうたら引きこもり」になってしまう私にとって「学校」というのは実は強力な「セーフティネット」になってくれるのです。
セーフティネットがない生活が2ヶ月もなんて!そら飽きるわ!

3.はやく働きたい(自立したい)から

私は中学生のときから常に「はやく自立したい」と思って生きてきました。
正確に言えば「誰の手も借りずに生きれるようになりたい」という具合でしょうか。

今では「人の手を一切借りずに生きるなんてできるかー!」と思っていますが、当時は本気で考えていました。どうしたって人との繋がりをゼロにすることはできないのにね。無理難題にもほどがあります。笑

まぁそこまでの気持ちは無くなりましたが、今でも「はやく一人暮らししたい」とか「自分の生活費は自分で払えるようになりたい」とか「誰かに依存するくらいなら“独り”という選択肢をとれる人間になりたい」とかの気持ちは持ち続けています。その前にアルバイトさがせって話なんですけれどね。笑

まだ「ひとりで生きる」というものを知らない私にとって「自立」というものがどうなのかは、よく分かりません。自分で立つ、けれど人と関わらないわけではない(むしろ「うまく頼りあう」のも「自立」のひとつなのかも?)・・・う~む、考えれば考えるほどドツボに嵌っていきそうです・・・。

そんな私でも、自立のためには「仕事(=お金を得る手段)」が必要なことくらいは理解しているつもりです。

思えば中学生の頃には「はやく高校に行きたい」と思いながら生活していたし高校生のときには「大学はどんなところなんだろう」と想像しながら生活していたし、常に「次を見据えていたい」だけなのかもしれません。ひょっとしたら、真正面から「今」を見つめることに臆病になってしまっているだけなのかもしれません。

しかし今私が抱えている「はやく働きたい」「自立した人間になりたい」という気持ちは本当のことです。嘘ではありません。それが嘘ではない以上、私はその気持ちを大切にしながら生きていきたいです。

まとめ

そんなわけで、現在の私が大学の講義を首をながぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~くして待っている理由は

  1. 勉強したいから
  2. 学校は「当たり前の生活」を守るための大きな手助けになってくれるから
  3. はやく働きたい(自立したい)から

の3つになります。

ちなみに比率としては、1が99%くらいです。笑

学校に行く理由なんて人それぞれだから、もしかしたら「学校に行きたい理由」の中に「友達と会いたいから」とか「あの先生の講義が受けたいから」みたいなのが入ってくる人もいるかもしれません。どれが正解なんてことも「コレが無きゃだめ」みたいなこともないから、少しでも楽しく日々を生きれるようになれればと思います(*´`)

鷹れん

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