「自由に表現していい」というのは「人を傷つけていい」ということではありません。

人は、自分の考えや想い、価値観を自由に表現することができます。
仕事上の都合などが無ければ嫌い・苦手な人とムリに付き合う必要はなく、どんな生き方をしようと自由です。定職に就いて家庭を持つもよし、一人着の身着のまま生きるもよし、仕事に人生の価値を見出しただ打ち込み続けるもよし。

ただ、その自由を勘違いしてしまう人がいます。

自由=無法地帯、というわけではない

ある人がわたしに「学校に来るな」と言ってきたことがあります。
当時その人はわたしのクラスメートで、二人とも中学二年生でした。一年生の頃から陰口をたたかれたり無視されたりということはあったのですが、直接「邪魔」と言われたのは初めてで、その後すぐに、わたしは学校に行けなくなりました。二度目の不登校でした。

一度目は、中学一年生のとき。
「学級委員のクセに」という言葉を枕詞にして、クラスメート数人から悪口を言われたことがきっかけでした。

わたしが抵抗しようとしたとき、彼らは「なんだよ、学級委員の言うことには従わなきゃいけねーってのか!こっちがどう言おうが自由だろぉ」と言ってきました。自由というものを盾にして、わたしは居場所を追われたのです。

しかし、本当にそうなのでしょうか。
何を言おうが自由なんですか。
何をしようが自由なんですか。

ではどうして、この世の中には規則やルールがあるのでしょう。
時には窮屈に思えるほどのたくさんのルールが存在します。それらのルールは、「わたしたちの自由を守るため」にあるのではないでしょうか。

自由=無法地帯、ではありません。
自由はルールがあって始めて成立するものなんです。

ルールの中には、「命を守るため」のものもあります。
日本で言えば、銃や刃物を持ち歩いてはいけないとか、大麻を使用してはいけないとか、規定以上のスピードで車を走らせてはいけないとか。もしそういったルールが無ければ、わたしたちは本来持っている「自由」を失ってしまいます。
もちろん自由を守るためのルールもあるけれど、「どう言おうが自由だ!」と誰かの悪口を言うとか、「どう過ごそうが自由だ!」と人のことを無視するとか、そういうことの前に、守らなきゃいけないものがあるのです。

だから何か表現するときには、最低限「傷つけない配慮」をする必要があります。
わたしは昔から臆病者なので「この言葉では勘違いさせないだろうか「失礼にあたらないだろうか」「誰かの居場所を追ってしまわないだろうか」といろいろいろいろいろいろたーーーーーーーくさんの配慮をして表現をします。ブログだってそうだし、メールや手紙もそうです。
表現することが好きだからこそ、「表現する」ということを大切にしていきたいのです。

好きだからこそ。続けたいからこそ。
守らなきゃいけないラインってやつがあります。

鷹れん

ティーンズプレイスをフォローする!

匿名で投稿!誰にも知られずに、学校にいじめ報告ができるサービス

このブログと一緒によく読まれているブログ

このブログを書いた人

鷹れん
鷹れん

ティーンズプレイスを見ていただき、ありがとうございます。 管理人の鷹れんです(*´`) 小学校2年生、はじめていじめを受けました。 中学生になってからもいじめられて、はじめて不登校になりました。 不登校になってから、家...

プロフィール詳細はこちら
鷹れんが最近書いたブログ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

ティーンズプレイスの仲間募集中!

ティーンズプレイスでは、お互いに支え合っていける仲間を募集しています。あなたもぜひご応募ください☆

ご応募はこちら!


  • 匿名で投稿!誰にも知られずに、学校にいじめ報告ができるサービス

ページTOP