気持ちがあるから行動できるのか、行動するから気持ちがうまれるのか。

こんばんは、鷹れんです。
わたしは今、数学の教員を目指して大学で勉強をしています。
けれど元々は、数学なんて大嫌いでした。

将来役に立つなんて思えなかったし、数学の先生が大嫌いなのもありました。小学生のときに分数の計算で躓いたことをきっかけとして、わたしは数学が大嫌いになりました。当時は中学生ながら「わたしは一生文系だろうなぁ」と思っていたんです。読書が唯一の趣味と言っても過言では無かったし、国語のテストは常に満点に近い点数を取っていましたからね。

今の「素数の魅力を語る」なんて姿は想像も出来ませんでした。ましてや数学の先生を目指すまでになるなんて。
では、そんな子どもが何故数学を大好きになって理数系の大学に進学するまでに至ったのか。

それは、二つの出会いがキッカケとなります。

数学大好き少女を育てたふたつの出会い

1つ目の出会い:小説『博士の愛した数式』

読書が唯一の趣味であったわたしは、土日や放課後のほとんどの時間を読書に費やしていました。
その中で出会ったのが、『博士の愛した数式』という小説です。

博士、家政婦、そしてその家政婦の子どもの三人を軸に、物語は展開していきます。
その小説の中には、これでもかというほど「数学」がちりばめられてるのです。虚数について、素数について、完全数、友愛数、日常にある数字の謎、美しい計算式――……。
ここでは語りきれないほど、「数学」というものが美しく、魅力的に描かれていました。

当時のわたしには数学の知識なんてものは微塵も無かったのですが、そんなわたしでも思わずページをめくる指に力が入るほどでした。
この世界を、知識を得てから見たら、どれほど輝かしいのだろうと。
今のわたしに見えないものが見えるのではないかと。
そう思ってしまうほどに、実際にその世界を見てみたいと思ってしまうほどに、その小説はわたしを魅了しました。

それからわたしには、趣味が一つ加わりました。
「日常の中で見かけた数字を計算する」というなんともヘンテコな趣味です(笑)。

2つ目の出会い:信頼できる先生

わたしは中学一年生の頃にいじめを受けて、結果的に二年生の夏休みに転校をしました。
計半年ほどの不登校期間もあって、勉強は全教科滅茶苦茶遅れてる状態。単元ごとに切り替わる理科や社会はまだどうにかなりましたが、積み重ねが大切な数学や英語は絶望的な状況でした。(国語はどちらかというと積み重ね側でしょうが、もともと読書は好きだったし漢字も苦手ではなかったので数学ほどには困りませんでした。)

元々わたしが数学を嫌いになってしまったのは、小学生のときの苦い経験が関係しています。
その頃はまだ算数で、苦手ではなくむしろ好きでした。

あるテストのとき。
公式をド忘れしてしまったわたしは、それで解けないのが悔しくて、公式をつかわずに分かる数字すべてを使って問題を解きました。計算用紙がうっすら黒ずんでいたのを今でも覚えています。
しかし返ってきた答案用紙に書かれていたのは、バツのマークと「公式を使って解きましょう」のコメントでした。
答えは合っているのに。悔しくて、悲しくて、それからわたしは算数にマジメに取り組まなくなりました。

転校してすぐにあったテストでも、同じような状況になりました。
そしてわたしはあの頃と同じように、公式を使わずに解きました。
今思えば、当時の数学の先生になにかを見出していたのかもしれません。きっと期待していたのでしょう。「この先生は違う」と。
結果は期待通りで、大きな花丸と共に「よくがんばって解いたね」というコメントが書かれていました。

そしてわたしは学んだんです。
数学は、正しく計算するための学問じゃない。公式を覚えるための学問でもない。
ひとつの答えにたどり着くために、自分が持っている武器(公式であったり計算方法であったり)を最大限活用して道を開く学問なのだと。

あのときの先生に出会えて本当に良かったです。もしそうでなければ、今ごろわたしは理数系はおろか大学に進むことさえ考えていなかったかもしれません。

想いがあるから行動できるのか、行動するから想いが生まれるのか

わたしはそのテストの後から、本当に真面目に数学を学んできました。そして今では、将来、子どもたちに自分の持ちうる知識の全てを教授したい、数学嫌いではなくなる出会いのひとつになりたいと考えるようになりました。

数学に真面目に取り組んだそもそものきっかけは、「先生への恩返し」でした。
不登校など諸々の事情を把握していた先生は、わたしが学校での居場所を失うことを危惧して部活動の紹介などいろいろなことをしてくださいました。担任でもあったからもちろん仕事上というのもあると思います。
でも、大学で「教師」というものを学んだ今だったら分かります。放課後にわたしに何十分でも数学を教えてくれることの大変さを。
授業はすべて本気でやっていることが伝わる内容でした。
一回の説明で分からずとも、重要なポイントは何度も何度も復習してくれて、決して間違いを叱ることはありませんでした。むしろ「何度でも失敗しなさい」と言ってくれたんです。授業で失敗しなきゃどこでするんだと。

今、わたしが「理想の教師像は」と訊かれたら、おそらく当時の先生と言うでしょう。

忙しい中できうる限りのフォローをしてくださる先生に恩返しをしたくて、わたしはその熱量に負けないほどの真剣さで授業や勉強に取り組みました。
そしてやがて数学の魅力に気づき、高校に入学してからもある先生との出会いをきっかけとしてわたしは数学が大好きになっていきました。得意科目の欄に書けるまでに至りました。

わたしが数学を真剣に勉強できているのはその基礎に「想い」があるからです。
先生に恩返ししたい。あの先生のような人になりたい。わたしみたいな子どもに数学の魅力を伝えたい。

けれど一方で、英語の苦手を克服したときには「行動」がきっかけでした。
中学一年生のときから苦手だったのに、不登校でより一層置いていかれてしまって。威圧的な先生に恐怖を感じてしまったのを引き金に、わたしは英語を諦めてしまいました。
しかし大学に入って、どうしても英語をやるしかない状況になりました。
大学では、テストで合格点をとらなければ単位をもらえないからです。単位がもらえなければ卒業できません。高校生までは補習をやったり課題を提出したりでなんとか単位をくれる先生が多いけれど(それがいいかどうかはさておき)、大学ではテストの点数が全て、という科目が多いのです。わたしが受けた英語の授業も例外ではありませんでした。

授業中は、電子辞書が手放せませんでした。知らない単語ばかりです。
ウォーミングアップに利用される洋楽なんて、もはや呪文にしか聞こえません。

けれど、取り組んでいくにつれてだんだんと「見たことのある単語」が増えていることに気がつきました。
授業には実際の雑誌の切り抜きなどが利用されていることが多く、似通った単語でつくられているものも多かったのです。文の中にひとつやふたつ分からない単語があっても、まわりの単語と文脈でだいたいの意味をとることが出来るようになってくると、もうわたしの中の「英語なんてムリ」という気持ちは消えてしまっていました。

行動から想いが生まれることもある

「やる気が出ない」などと悩むことがあります。
でも、全てのやる気が「最初からある」かどうかなんて分からないんですよね。

わたしの数学のように最初にやる気が生まれるようななにか(出会い、できごと、気持ちの変化など)があってやる気が出てくることもあれば、英語のように実際に行動してみてからやる気が出てくることもあるのではないでしょうか。

だとしたら、「やる気が出ない」と思ったときには30秒でいいから取り組んでみるのもいいかもしれません。
そうしたら案外簡単に、30分くらい経っているかもしれませんよ。楽しいことは気づいたら何時間も経ってしまうものですからね。

鷹れん

ティーンズプレイスをフォローする!

匿名で投稿!誰にも知られずに、学校にいじめ報告ができるサービス

このブログと一緒によく読まれているブログ

このブログを書いた人

鷹れん
鷹れん

ティーンズプレイスを見ていただき、ありがとうございます。 管理人の鷹れんです(*´`) 小学校2年生、はじめていじめを受けました。 中学生になってからもいじめられて、はじめて不登校になりました。 不登校になってから、家...

プロフィール詳細はこちら
鷹れんが最近書いたブログ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

ティーンズプレイスの仲間募集中!

ティーンズプレイスでは、お互いに支え合っていける仲間を募集しています。あなたもぜひご応募ください☆

ご応募はこちら!


  • 匿名で投稿!誰にも知られずに、学校にいじめ報告ができるサービス

ページTOP