現実よりも想像のほうがずっとつらい

実際に傷つく言葉を言われるよりも、想像したときのほうがずっとつらいです。
実際に嫌われることよりも、嫌われたときのことを想像することのほうがずっとつらいです。

中学二年生のわたしが母親に「お前の親なんか辞めてやる」と言われたとき。
すごくつらかったです。しんどかった。自分が生まれてきた意味が分からなくなりました。わたしが生きていく必要性が分かりませんでした。
けれど一方で、「解放された」瞬間でもあったんです。

わたしは小学二年生のときから家庭内での自分のポジションを意識して生きてきました。
病弱な兄と、兄ばかりを気にするヒステリックな母と、家族を全く省みない仕事人間・昔気質な父。わたしは「家族のかたち」を守るために、わたしを殺して生きてきました。

すこしくらい体調が悪くても、凹んだことがあっても、中々親に「つらい」と言えませんでした。
わたしを守ってくれる存在なんてどこにも在りませんでした。

当初からずっと「居場所の無さ」は抱えていて、安心できる場所なんてありませんでした。家族の中にある「歪み」に気づいていたのだと思います。
その歪みは、ちいさな娘に直せるものではなくて。目には見えないところで、けれど確実に大きくなってゆきました。

そういう歪みが表面に出てきたのが、中学二年生当時の「お前の親なんか辞めてやる」だと思うのです。
ちょうどその後くらいからわたしたちの家族は「表面上のもの」になっていきました。

癇癪もちでいやがらせばかりしてくる兄。
ヒステリックな愚痴ばかりの母。
利己的で実力主義で仕事ばかりの父。

「わたしは本当に家族に愛されているのだろうか」
嫌でもそんな想像をしてしまって、ほんとうにしんどかったんです。
しかし実際に親から言われた言葉を思い返すと、それが想像上のものではなく現実のものであることに気づかされます。

「親なんか辞めてやる」「お前のことなんか少しも信じてない」「嘘吐き」「また嘘をついた」「生まなきゃよかった」「はやくでていけ」「いらない」
それらの言葉はわたしの首を絞めました。苦しめました。

けれど実際には、それでも支えてくれる人たちがいて、(精神的に)親に頼らずとも生きていけるわたしがいて、「家族はつくれる」ということを教えてくれる人たちがいます。

「わたしは愛されていないのではないか」
そう想像していたときは、こんな世界は想像していませんでした。
死ぬと思ってました。そういう現実に直面したら。
でもわたしは、生きています。
「親から愛されてる」なんて思えません。「本当は愛情だった」なんて思いたくもありません。あれが愛情だとしたら、わたしはこの世界に何も希望を見出せないから。そんな世界は、さびしすぎるから。
だからわたしは、親の価値観を捨てました。
わたしがこの家族たちと過ごしている時間は嘘ではないし無くならないし一生わたしの過去としてついてくるけれど、それは「わたしの全て」ではありません。今はまだ割合が高いだけで、わたしが死ぬときにはきっと人生のほんの一部になっています。
ほんの一部にこだわっても仕方ないし、そうしたら次は「これから先どう生きていきたいか」を考えるだけです。

想像の世界はすごくしんどいけれど、その分希望に溢れています。
現実の世界だって、負けないくらいしんどくて負けないくらい希望があるはず。だからわたしは、これからも生きていきます。

鷹れん

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