感情の否定と共有

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「死ぬなんてだめだ」

「自分を嫌ってはいけない」

「クラスメイトみんなと仲良くしなきゃ」

「大学生が遊ばないなんておかしい」

これらの言葉をきいて、どう感じますか。

私が今まで言われたことのある言葉です。
これらの言葉をきいたとき、私は「自分の感情を否定されている」と感じました。

言葉の根底にあるのがやさしさや善意だったとしても、私は追い詰められるだけでした。
逃げ場のない崖っぷちから、さらに追い詰められているような感覚。

「私の気持ちなんかわかんないくせに」
「これ以上苦しめっていうの」
なんて思っていました。

今考えると、すごく申し訳ないことをしてしまいました(´-`)シュン

別に、その言葉自体がつらかったわけじゃないんです。

「死ぬなんてだめだ」と言ってくれること自体はむしろ嬉しかった。だってそれは「死んだらかなしい」「死んでほしくない」という気持ちが込められているから。
私のことをそう思ってる人がいてくれる、というのは嬉しかったんです。

けれど、それと同時につらかったです。

当時の私は真剣に悩んでいて、生きるのと死ぬのとのつらさがギリギリの平衡状態で、毎日憂鬱で趣味だった読書も楽しめなくて、毎日毎日毎日毎日死んでしまいたい、このままいなくなってしまいたいと思っていたから、
「死ぬなんてだめだ」という言葉が「死ぬなんて(ことを考える私自身が)だめだ」という意味だと感じてしまったんです。
死にたいという気持ち自体を、根本にある悩みを、私の全部を否定されているような気がしてしまったんです。

そんなことないのにね。
でもつらいときや悩んでいるとき、極限まで追い詰められているときって、視野がすごーく狭くなってしまいませんか?
そして、すごく些細なことをきっかけにしてすごく落ち込んでしまう。とにかく脆い。

そういうときには、「死ぬなんてだめだ」という言葉は重すぎたんだと思います。
死ぬということがいけないことなのは頭では理解していました。まわりに迷惑をかけるだろうし、悲しませてしまうかもしれないし、一生もののトラウマを植えつけてしまうかもしれない。

でも、心はそう冷静に考えることは出来なくて。
どれだけいけないことだと分かっていても、生きるのがつらかったんです。

きっと私がしてほしかったのは「感情の否定」ではなくて「感情の共有」だったのだと思います。

「死ぬなんてだめだ」じゃなくて、「あなたが死んだら私は悲しい」

「自分を嫌ってはいけない」じゃなくて、「私はあなたが好きだよ」

「クラスメイトみんなと仲良くしなきゃ」じゃなくて、「嫌いよりは好きがたくさんあった方が私は好きだなぁ」

「大学生が遊ばないなんておかしい」じゃなくて、「私は遊んでおけばよかったって後悔したなぁ」

「これがダメ」とか「これが正しい」とか「これをしなきゃいけない」とか「これはしちゃいけない」とか
そんなキッチリしたこと、しんどいときくらいは無視したっていいんじゃないでしょうか。

少なくとも私は、
「私はこう思う」「あなたはそう考えてるんだね」
と伝えるようにしています。

アドバイスや意見を出すときには、できるだけ「あくまでこれは私の考えだけれど」と前置きをするようにしています。

全部を受け入れる必要も、全部を受け止める必要もないんだと思います。
「いいなぁ」と思ったものは取り入れる。「これは後で」と思ったものはとっておく。「うーむ」と思ったものは次のご縁があるまでさようなら。
そのくらいで、いいのではないかな。

まだまだ伝え方も不器用な私だけれど、これからもじーっくり考えながら、言葉を選んでいきたいです。
最後までお読みいただき、有難うございました(*´`)
鷹れん

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